結婚

夫婦関係の存続

夫婦関係の存続

私は以前、個人的な欲望を子育てへの強い力へ昇華させたときに、身をゆだねるようになったことについて述べた。

親になるのはもちろん大変なことだが、結婚生活で発生するにちがいない誠歩や妥協と比べたら楽なものだ。
子供に対する愛情は複雑ではなく、自然で純粋で無限である。
子供は私たちから生まれ、体つきも顔も似ていて、脚と同じように、自分自身の自然な延長なのだ。私たちは疑いも策略もなく、無条件に子供を愛する。

結婚の場合、愛や献身の度合いがどんなに深かろうと、相手は所詮「他人」だし、非常によく知っていると思っても、いつもどこかしら見知らぬ人のままだ。
私たちは血も遺伝子もちがえば、おそらく共通の関心さえ持ち合わせていない。
それなのに、私たちは出会い、結婚し、いまでは家や互いの家族、そして子供たちまで共有するようになった。
それが地獄になることは、ありうる。

結婚生活に身をゆだねる。それは、最も不思議でむずかしい、しかし重要な人間関係を成功させるには、
次々と押し寄せる悲しみや怒りを乗り越え、それを結婚という構造の一部として受け入れなくてはならない、と認識することだ。
あるひとつの明確な関係を結び、子供たちがしがみつく岩でいられるという深遠なる喜びが、結婚に伴うのも事実ではあるが。

結婚生活に身をゆだねる。それは、本当は悪意に満ちた暴言を吐きたい気分のときさえ、大きな心で相手を許さなくてはならない、という意味だ。
本でも読んでいたい、眠っていたい、と思うときでも、相手の背中をなでたり、逆になでてもらったりしなくてはならない。
夫婦関係を存続させなくてはならないし、それが死にかけたときには、生き返らせなくてはならないのだ。
私たちは現実に身をゆだね、夢物語をあきらめなくてはならない。

参考:

不完全な夫、不完全な妻

不完全な夫、不完全な妻

相手が腕力や言葉、あるいはまったくの無関心によって私たちを傷つけ続けているのでないかぎり、ここでの結婚に身をゆだねるとは、とどのつまり、
結婚を解消したからといって事態が好転するわけではない、と知るようになることだ。
なぜなら、どこへ行っても、私たちは私たちだからである。
結婚生活を捨てて、別の人のもとへ走ったところで、その人は自分が捨てた人よりも、さらに大きな重荷を背負っているのに気づく場合が多い。
非難の矛先を向ける長年の不完全な相手がいなくなったとき、ずっと自分を苦しめてきた原因は、不完全な自分自身のほうにあったことがわかるのだ。
私が到達した結論は、自論を証明するために広範囲にわたる長期的な研究をおこなった、学問的なものでも、精神的なものでもない。
数多くの人たちに、数多くの恥ずかしくなるような質問を、キッチンやレストランや飛行機の中や散歩中の砂浜や、電話やEメールで浴びせた、
詮索好きな一ジャーナリストとして、こうした結論に達したのだ。
それはアメリカの津々浦々から集めた、さまざまな収入レベルと文化的背最を持つ男女の声を代弁している。
とはいえ、一番すばらしい内容の多くは私自身のたまり場、つまりワシントンDC近辺に住む友達や、
ジャーナリスト、芸術家、看護婦、医師、弁護士、ウェイトレス、女相続人などから聞いた、苦悩の声がもとになっている。

たとえば髪型は、ちょっと長め。
くちびるはポッテリと厚く。
華著に見えるけど、意外と広い背中。
「狼少年ケン」みたいに(古)、健康的な褐色の肌。
おなかには、ひそかにワルぶった、へそピアス。
あ、思いっきり自分の好みを書いてしまいました。

出典:結婚相談所 選び方